日本語で歌詞を書く時に、僕ではなく俺でいこうと思い、それが軸であると決めた際、随所に俺がでてくるようになった。
その結果、自分の事を俺と呼ぶ事にさっぱり違和感がなくなったのである。これは自分の中で大きな進歩である。
和歌山という街の話を少し耳にしたが、どうやら和歌山はタメ口の文化が根付いているらしい。信じてないけどね。
昔の昔、位の高い人間が平等でいこうと決めたらしい。あんまり信じてないがね。
でもそうらしいんです。
だが、この類の話はとても好きだ。
例えば、例えばだが、チャールトンヘストンの壮絶な人生を語りだす女性がいたとしたら僕の中では、もちろん最高である。
ハイウェイに乗り込む時、最近radioheadを聞く。何か無性に合う。
自分的には通常音量で聞いているつもりのイヤホンからおそらく音が漏れてしまっている。俺は音量を下げる。私は気づけば音量を下げるタイプの人間だ。
集団で何かを決めた事があるとしたらそれの実行は一瞬だ。誰かが誰かに委ね、誰かがやるであろうと自分を甘んじ、そして決められた事でさえ消滅していく。私はそれに気づく人間だ。なにせ生粋のキニシストであるからの由縁。
どこかで火が燃えていたら、車内に不振なカバンがあったら…。それらの危険性を気にしていない人ばかりなのである。幼少の頃からそういう疑問を覚える。そして私は影でそれを処理しているつもりだ。わざわざ書くだけあってこれは偽りではない。
気にしない群衆という描写が漫画のガンツやアイアムヒーローなんかで大袈裟に描かれているが、そういう感じなのである。
品の無い情報がそういう体を作り出しているのかもしれない。小さい頃TVでかなりの未成年がかなりの未成年をバラバラにした事件があった。
あの時、チャンネル6のニュースでは、その出身校の教育を責め立てていた。司会者がわりかしがっつりした形相で責め立てていた。学校の教育が少年をそうさせた。と。
僕は非常に滑稽だと思った。
そして誰も神にはなれないと僕は悟った。
そしてそれらも忘れ去られ消滅していく。
私はそれらを歌詞にしておいた。忘れない為にも。
考えない日をためるとある日考える日がやってきて、考える内容がわりと現実味かもしだすね。
フェンダーテレキャスターでの弾き語りの1月のしめのライブがビジョンで行われた
バックグラウンドには天王寺での居酒屋で開かれた集会のサウンドを流しつつ、やらせてもらいました。
最近は色んな録音を楽しんでいます。
リハの時間帯や、ライブ前は、こんな内容でいいのか?と己に疑問を抱く。
が、本番に入ると無敵な感覚になれる。そんなもんである。
1.the end song
2.talk
3.虫にやられる
4.the band
5.STUDY
6.my name is Takahiko Asamoto
今回はいいテイクが録れました。
1人バージョンの次のビジョンは3/23にて、2曲演奏予定です。色々な人が僕に協力していただいて感謝です。
1/31は堀江クラブビジョンで正式に1人で出演予定です。
これは是非来てくださいね。
ビジョンにて5番目20時50分からの出演です。
色んなお1人様系が多数出演するらしい。
生きてて、これまで吐き出してきた言葉を、誰かが聞いて、それに対しての伝わりを自分なりにみればそれは補足したい事だらけだ。
色々補足したい。カラオケなんかにいったら3時間ぐらいマイクを独占して、曲なんか入れずにただ喋って補足の時間を与えてほしいぐらいだ。
それは誰の為にもならない。ただ自分の罪悪感を消したいだけだ。
夜ちゃんと寝れるよう。街歩く時、寒がらない為にも、罪悪感を消したいだけなのだろう。
話の2段階目である補足は自分の為、1段階目は誰かの為だ。
一つ目は悲しみだ。
僕を作り上げてるもの、一つ目は悲しみだ。
24年間の悲しみが今の僕を作り上げたんだ。
1日をないがしろにしてしまう事が僕にもある。浮き足である半透明である。そんな日がある。
忙しさに煽られて忙しさに気をとられたまま寝床につく。スイッチを切り替えれぬまま、お風呂に入らず寝床につく。
起きたら、忙しい世界にばっちし行く、終われば終わり。これがAの世界であり。僕たちが過ごしている通常世界である。入り込めば、そのまま世の中の一部として周りつづけるのである。僕だけが罪悪感を感じてるのではない。みな罪悪感を感じ、顔がそれを表している。
その世界で最近僕は誰かの為になれたという事があった。これは嬉しい事であると思う。
そしてもう一個の世界はこじあけて入るような感じだ。なにくわぬ顔で行っているが、どこかで意識を切り替える作業が存在している。
人間。
最低であり最高である
昨夜は天六の音太小屋、今夜は堺東のゴイスの1人出演が今終わったとこだ。
1人スタイルは3回目の出演だが、だんだんギターを弾かなくなってきたしスピードもゆっくりになってきた。
曲に愛着心が芽生えたのだろうと思う。
ビリヤードがしたい気分だ。
日本語で歌うのもいいかもしれない。
冬は寒いだろう
まるで平気だな
お前はいまどこに
いるのかわからない
春はこないだろう
ごめんねここにいるよ
俺は今ここで
何かを待っている
という歌詞を書いたが、これが結構気に入っている。
何かの初期衝動を試みる度、何かしらのアンサーを期待している。
歌を唄うという事は、単純に痕跡を残して去るようなもんだなと思った。
今日はちょっとアンサーがあった。アンサーは、自分が好きだ、という事である。
フェンダーテレキャスターを今でも製造し続ける団体に敬意を表す。